私の中にもバビロン

レゲエやヒップホップ関係者を中心に『バビロン』『バビロニア』って言葉を使う人は多い。

元々は聖書に出てくる言葉だが主に、国家権力や社会システム、ポリスや巨大悪、支配者などの意として使われる。

以下少し踏み込んだ話をする。

例えば金に目が眩んだ政治家が賄賂を受け取り逮捕されたとする。そのとき、『あーあ、こいつは金に目が眩みやがったな』などと思えたならばあなたの中にも『悪』が確かにあるということだ。そうじゃないと罪を犯した人間の気持ちを『分かる』ということができないし『悪いこと』と認識できないからだ。自分の中にないものを人間は理解できないように出来ている。フロイトは自身が神経症だったから神経症について書けた。ユングは自身が統合失調症だったので統合失調症について書けたとい話と同じだ。

以前、仏や神にも悪はある。そうでなければ悪人の気持ちを理解してあげれないという記事を書いた。まあだいたいそれとも同じだ。

ついでに本来のコーランの『聖戦(ジハード)』の意味は自分の内なる悪との戦いだったと思う。

話はそれるが、『世界平和を叫ぶ前に道ばたのタバコを拾え』って誰か歌ってたな。