K病院のA先生との会話の一端

以前受診のとき、主治医のA先生に、

自分は草(※)などを吸ってもあまり多幸感を感じたり、優しい気持ちとかにならず、身体的にエフェクトがかかるだけです…

みたいな話をした。

そしたら先生は、

「ひとりひとり脳のつくりが違うからね…」

とおっしゃった。(ちなみに自分は産まれるときに母の産道につっかえたので吸引器具で引っぱり出されたので頭に血腫がある状態で産まれた。そして成長ホルモンが出ていなかったので子供の頃は成長ホルモンの注射を母に打ってもらっていた。)

あとになって、A先生のその言葉を何度か思い返した。

というのも、レスタミンコンタック(DXM)のODぐらいで多幸感を感じる人もたくさんいるからだ。(そういう人は身体的エフェクトの面白さで多幸感を感じてるのかも。)

DXMのODなんて自分にとっては平衡感覚が無くなり閉眼幻覚を見るくらいだ。(※精神科の医師は必ず1度は塩野義のメジコンあたりをODして統合失調症の疑似体験をしてもらいたいものだ。・統失の症状に似てるので。)

自分はDXMなんかよりはまだコデインのほうがマシだ。(海外にも日本のコンタックWのファンは多い。)

ちなみに自分が多幸感を1番感じるときは努力して目標を達成したときだ。(それは一過性のものではないし。)

ひとりひとり脳のつくりが違う…か…

ということはだ、言い変えるならば幸せと感じる事柄が人それぞれ違うということにも置き換えられそうだ。

(この流れで長文を書けるが短く書く。)

つまり10人いたら10とおりの幸せのかたちや事柄があるとも言える。当たり前だが。

では10人いて10種類の幸せが必要なのに8種類の幸せしか世の中や社会に存在しなかったとしたら残りの2人はどうなるのだろうか。

ドロップアウトしたり幸せになることを諦めネガティブになり自傷などするのかな…

(この流れでも長文が書けるが今眠剤飲んでるから書かない。)

もし自分がその残りの2人のうちの1人だとしたら新しい幸せのかたちを作り出す努力をひたすらすると思った。

上記はあくまで自分程度の精神疾患症状の人の場合の話だ。重い症状の人のことには触れない。

スマホでこれを書いているが面倒なのでそろそろ寝る。

機会があれば追記を書く。例えば日本と韓国はベンゾジアゼピンの在庫処理国になっているがそのあたりの良し悪しにも触れようと思う。それとPTSDLSDの関係やADHDなどの概念についても。

 

寝ます。

 

※草がなんのことかは自分は知らない。