『ネオヤツシロヘヴン』完結編

映画制作が停滞しててフラストレーションが溜まっていたので『ネオヤツシロヘヴン』という小説を書き始めたわけだが、完結編の章を書き上げたので先にここに載せておく。オチとかは特にないので公開できる。

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ジャポニカバンビ 著

『ネオヤツシロヘヴン』【完結編】

 

現在のネオヤツシロに住む人達の平均寿命は男性が130歳ぐらいで女性が140歳ぐらいだ。俺のじいちゃんは俺が子供の頃に気が狂って55歳で死んだ。地球の大学で長年哲学を教えていた。気が狂って死ぬというケースは歴史をひもとくと数多くある。俺のじいちゃんも死ぬ前は当時幼稚園児の俺に対し、「神の正体は言葉だ!つまり神を認識する私こそが神だ!」などと叫んだりして酒を浴びては暴れていた。それをみかねたばあちゃんは遊びにきてた俺に対し、「バンビ、もう今日は帰りなさい」とよく言っていた。
じいちゃんの笑顔を一度も見たことがないが、いつもお小遣いをくれたので好きだった。いつも地球製の黄色いダブルデッキのラジカセで演歌を流しながらパイプを噛んで本を読んだり論文を書いていた。
たまに俺もじいちゃんみたく55歳で死ぬかもしれないなどと考える。だとすると俺の人生は短い。夜空に撃ち上げられたが爆発を忘れた花火みたいな人生になってしまいそうだ。先日41歳になったので55歳までは14年。死ぬ前は身体が不自由だろうから友だちの車屋の一年カレンダーを貰えるのはあと10回ほどかもしれない。ひょっとすると明日バイクで事故って死ぬかもしれない。できれば幸せを感じながらくたばりたいものだ。
ずっと幸せになりたいと願いながら生きてきて欲しい物はある程度手に入れてきた。人を傷つけたことも数多くある俺だけれども素敵な人達に存在を認めてもらうこともできた。だが胸中はいつも漠然たるなにかを欲していたし、溢れ出しそうな狂気や悪心を善心で無理やり押し殺して生きてきた。それに当たり前のことだが人生で起こりうる物事というのは予測も制御もできないものだ。努力が報われないことも多いし、なぜあんなにいい人があんな目に…といったこともザラだ。地球では今でも一部の権力者の利益拡大のために殺し合いが続き、平和に生きたいだけの庶民が殺され続けている。
20代の頃の俺はサラリーマンとして出世し、そのうちあどけない女性と恋に落ちて結婚し家庭を持つものだろうと思っていた。音楽などの創作活動は趣味程度に考えていた。結果的には音楽を作ったり創作をしないと食っていけない状態になった。独身だし我が子もいない。己に幸せかと問えばそうじゃないだろう。いつも息苦しいのだから。
なので自分イコール幸せであると決めることにした。
俺が凄惨な死を遂げようが野垂れ死にしようが恥を晒しながら貧しく生きようがそれが幸せのかたちだと決めた。
俺が地獄に落ちたならばその地獄にこそ幸福が存在したことになるわけだ。
俺の足跡は幸せの足跡だと決めた。
地球では人は死ぬと無になると本気で思っている人が多いらしい。発展途上球なのである意味そういった考えの人が多いのは仕方がないことだ。物質である肉体にはもちろん終わりが訪れるが精神や意識といったものはそもそもが目に見える物質ではない。つまり朽ち果てたりしないし時間の次元をハナっから超えているものだ。
有限な肉体の一部である脳が簡単に無限の概念を認識できるのはその証拠の一端に過ぎない。前世だの来世だの地球の人の一部は言う。しかしここにある今こそがそれらであり現在なのだ。
俺はくるぶしに埋め込まれたマイクロチップを取り出してコンピュータに繋ぎ、41年分の経験と記憶を流し込んだ。
今日も部屋の窓から見えるネオヤツシロの空は澄んだエメラルドブルーだ。
俺は眠剤を大量に胃に流し込み安いタバコに火をつけた。

 

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