在る が 在るということである

タイトルは自分とエースさんの曲、『ワラッタノラネコ』の一節。

 

自分は宇宙のはじまり、ビッグバンなんてたぶんなかったんだと思う。

始まりも終わりもない無限の空間がなぜか存在していた と考えたほうが自分はしっくりくる。

人間の肉体にはもちろん始まりと終わりがある。

人類は時間という概念をつくったし、時計なども作ったりしたから、すべてのものごとには始まりと終わりがあるんだと思いがちなんだと思う。

例えば『永遠』の意味を人類は知っている。

しかし誰ひとりとして『永遠』を目で見た人はいないはず。『安心した顔』、『安心した様子』は目に見えるが『安心』は目では見れないのと同じ。

 

さてと…

 

有限の肉体に眠剤入れて寝ます。