MCF3作目『もの』について(1)

2千何年に作ったかは忘れたが十数年勤めさせてもらった会社(某義肢屋さん)を体調不良のため辞め、それから半年ほどかけて作った短編。

2作目(『作品』なのか不明)までは勤めていた職場の同僚と休み時間に撮影するというスタイルだったので腰が重くなったり撮影に関して思い悩むことはなかった。

しかし退職となると当然そういうスタイルが取れなくなり、いつ、どこで、誰に出てもらい、何を撮るか、という手数になる。場所を借りる必要があれば使用料も発生する。(←数度借りれば数回分。)

『もの』では出演を頼んだ人は確か3人だったと思う。

仕事が忙しく休みが不定の人もいて、遠方から撮影のためにわざわざ来てくれた人もいた。そして自分は体調不良で退職しているのでもちろん体調がわるい。アパートの1室でコタツの天板に額を乗せて長時間悩んだ日を覚えている。今の自分にはムリだったかなぁ…とか、もう中断しようかなぁ…などと。

もちろんダウナーなときに。

 

そもそも制作をやらなきゃいいじゃないかとなるが、それは置いたフリをして少し話をそらす。

 

自分は絵を描いたり音を作ったり作詞をしたり映像作品を作ったりなどといった"精神"を使う作業をずっとしてきたしこれからも続けていく。妄想も作品に落とし込めれば一種の現実だと思っている。(※『現実』にしてしまうと『犯罪』になる妄想もある。)

 

話を『もの』に戻す。

安定剤やユンケル、ゼナ系にすがりつつ文字通り『苦悩』しながら仕上げた。

自分の中での『もの』の出来は、うーん…よく分からない…だ。だけれど小さな一歩だけは踏めた。違う環境でこれまでと違う人達と違う作風を体調に悩まされながらもひとつかたちに出来たのだから。

 

初期の2作は撮影中の笑い声なんて入っていてもそのまま使ったし演技ミスも使った。(それらの良さってのはあります。) 出来た作品は職場の同僚ら(出演者含む)が楽しんでくれたらそれでとりあえずOKだ。(←打率が高い。)

 

『もの』に関しては笑い声や演技ミスを8割ほど削り明るくガヤガヤした感じではなく静かでシュールな作風に出来た。使用した音楽もほとんど自作や音楽仲間の作品だったと思う。(初期は有名ミュージシャンの曲を勝手に使用。) 初期2作とは制作時期も違うので撮影に使った機器もテープ式ビデオカメラからiPadに変わった。(※現在までちゃんとしたビデオカメラやマイクなんて使ったことがない。)

笑い声を入れずに何か映画を作ってみようという意識はいつなのか忘れたが2作目が出来たぐらいにはもうあったと思う。

その意識の芽生えは簡単な納得のいく理由で… あるときある人に、(映画に)笑い声が入っていると萎えてしまう みたいなことを言われたから。

ある人とは初期2作に出演してくれた同僚のお兄さん。そりゃそうだ、"外"に向けては作られていないのだ。しかも多くの出演者がマスクをしてるし。(『もの』からはしてない。)

マスクをしてもらったのには理由があるが省く。あ、そのお兄さんと自分は面識があって、当時も現在もありがとうございますって気持ちしかない。

 

『もの』というタイトルは本居宣長について書かれた本の一説から取った。たしか、『ものをつかんで離さぬというのは…』みたいな文だったと思う。それとは別の文献に、『愛情表現が下手な人は代わりに物を送る』みたいな文があり、それもいいなと思った。

そして、ものづくりの『もの』だ。

世の中には色んな『ものづくり』があるが、某義肢屋さん(そこに属する人達)にもその楽しさや大変さを教えてもらったので感謝している。

 

あたりまえすぎる話ではあるけれどざっくり括ると一般的な職業と創作の違いは、一般的な職業はあらかじめゴールや正解のようなものがあるのに対して創作には答えがない。

自分は先に述べた某義肢屋さんに属していたときは主に小児麻痺のお子さん用の金具の付いた靴などを作らせてもらっていた。その場合、あらかじめ完成予想図みたいなものが頭の中にあり、それを目指せばよかった。きれいにできたかどうかも仕上がった物を見れば分かる。やりながらの手応えも感じやすい。あとどれぐらいの工程をやれば完成かも分かる。バカだけど少なくとも自分自身の中では。ミスったらミスったって自覚できるし、患者さんから不満があっても、その言っていることがある程度理解できる。ここをこうしてくれって目に見える『物』について言っているので。

 

続く。
いつか続き書く。